【神人靈媒日記 2019.9.13】〜読経の必要性とは?〜

【神人靈媒日記 2019.9.13】

〜読経の必要性とは?〜

人が亡くなったならば、お経をあげてもらうことが常識とされている現代日本ですが、本当に必要なのでしょうか?

日本の仏教界では、お経をあげるには
二つの意味があると説いています。


一つは、故人の供養のために。

一つは、生きている人を励ますために。


故人の供養のためにとされる、
「供養」とはいったい何でしょうか?

仏教思想では輪廻転生が説かれ、故人は50日目には再び生まれ変わるものと考えます。

そして、亡くなったばかりの人は、幼い子供と同じであるとし、魂にたくさんの栄養を与える必要があると教えます。
それが、供養(栄養を供える意味)となります。
ですから、読経は故人にとっては供養になるという教えなのです。

もう一つの生きている人を励ますためにという理由に対しては、釈迦の教えを分り易く僧侶が代弁して悲しみから導くためともされています。


さて、昨年亡くなったわたしの母との対話より得た、“読経を聞いた故人の感想”をお伝えさせて頂きます。
おそらく日本初ではないでしょうか?!(笑)

お経を読んでもらってみてどうだった?

読み手の雑念が入ってきた

気持ちが悪くなった

何も意味が分からない

有り難い気持ちにはならなかった

何も状況は改善されず変わらない

読んでもらう意味が分からない

わたしはもうお経は要らない

という答えでした。

そしてその後、気持ち悪くなったという母の靈を、わたしが浄靈し楽にしてあげました。

母は楽になったと喜んでいました。(笑)

皆様はお経の意味を理解されていますか?

お経は有り難いものと本当に思われていますか?

音楽療法としてのヒーリング効果は立証されております。

しかし、サンスクリット語+パーリ語の漢語訳を日本語読み&音写された別物を読経することに対しては、“意味が分からない言葉を聞いても意味が分からない”が、やはり本来の答えなのではないでしょうか?

それは、故人もまったく同様なのです。

しかし、日本の仏教界は故人のために正しい供養が必要であると説きます。正しく供養しなければ、故人は地獄に居続けることになるか、人間として生まれ変わることが出来ないか、未

浄化靈のまま幽界を彷徨い続けることになると…。

そのために読経しなければならないと反強制的に言われ、従わなければ、檀家としての務めを果たしていない不義理な遺族であると見なされます。

これが、この国で公認化している“洗脳”なのです。

◆日本の仏教徒として必ずしなければならないとされていること。(※宗派によって異なる)
各読経を行うことが必要とされている儀式です。

毎回の御礼として御布施(¥30,000〜)+交通費+食事代が掛かります。

以下は、故人1名に対してですので、両親ともなれば、2回ずつしなければなりません。支出も2倍金額が必要となります。

*兄弟姉妹が居なく子供1人であれば、負担はかなり大きくなります…。

◇納棺式

◇火葬式

◇納骨式

◇通夜

◇告別式

◇法要
・初七日(7日)
・二七日(14日)
・三七日(21日)
・四七日(28日)
・五七日(35日)
・六七日(42日)
・七七日(49日)

◇開眼供養(位牌と仏壇の魂入れ)

◇御盆(毎年)

◇御彼岸(毎春秋)

◇大晦日(毎年)

◇年忌法要
・一周忌
・三回忌
・七回忌
・十三回忌
・十七回忌
・二十三回忌
・二十七回忌
・三十三回忌
・三十七回忌
・四十三回忌
・四十七回忌
・五十回忌
・百回忌

あなたは全て正しく行いますか?

それとも中途半端に行いますか?

若しくはまったく行いませんか?


[日本国憲法第20条]
◇第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
◇第2項
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
◇第3項
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

2019.9.13 神人 拝